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昆虫のナビゲーションの世界
−森の中でコンパスをあやつるカメムシ−


 動物の驚くほど巧妙で精緻な振る舞いに、私たちは息を飲むことがあります。動物の行動に対する興味は、彼らがヒトとは全く異なった独自の環境(環世界)をもつことへの驚異から生まれているのかもしれません。森の中へ踏み入ると、ハチが飛び、アリが行進しています。森の中を歩き回るとあなたは道に迷ってしまいますが、ハチやアリは迷うことなく帰巣しています。このことは同じ環境をそれぞれの動物が別のやり方で切り取りながら生きていることを意味しているのです。彼らはどのような世界に生き、その中でどのように振る舞っているのでしょうか?
 動物がどのようにして目的地に進路を定めるのか、すなわち動物のナビゲーション行動、をモデルとして我々は動物行動の研究を進めています。行動圏内で目標を間接的にとらえながら定位する、と定義される中規模ナビゲーション(middle-scale navigation)を行う代表的な昆虫はハチやアリですが、カメムシも子に餌となる実を運搬する種が知られています(図1)。ベニツチカメムシは採餌のため地表を歩き回り、実を見つけると一直線に巣に帰ることができます(図2)。しかしこの時、眼を遮光塗料で覆うと帰巣できずに迷ってしまうのです。じつは、カメムシは自らの歩いた距離と歩いた方向を視覚情報からモニターし、これを積算して自分の現在地を知るという経路統合(path-integration)と呼ばれるナビゲーションシステムを用いているのです。
 経路統合システムには自らの移動方向を知るための情報が不可欠です。ここでカメムシは太陽を見上げ、太陽の方角から方向情報を得る太陽コンパスと呼ばれる方法を用いています。またカメムシの複眼の空を見上げる部分に、偏光を弁別可能な構造が発見されたました。おそらく木々や雲で太陽が隠された場合には、カメムシは空の偏光パターンから方向情報を得ているに違いありません(図3)。さらにこのカメムシは夜も餌を運ぶのです。夜の森でカメムシの眼が映しているものは? 彼らの視覚世界が少しずつ明らかになってきたところなのです。
 森の中でカメムシは経路統合という驚くべき能力で帰巣しています。一方、アリでは道しるべフェロモンを使う、あるいは風景のランドマークを記憶して写真を照合するように目的地に向かう、という能力をもつものがいます。帰巣のナビゲーションという課題を考えたとき、解決手段としての行動に種毎になぜ多様性が見られるのでしょうか? 情報処理系は行動の多様性にどの程度寄与しているのでしょうか? 個体は、組織は、細胞は、どのように環境を感じ取っているのでしょうか?... たくさんの謎。昆虫の秘密のナビゲーション能力の謎解きを楽しみながら、動物行動の理解を目指したいと考えています。



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図1: 森の中でコンパスと距離計をあやつり、巣を探すベニツチカメムシ。小さな昆虫達の秘密のナビゲーション能力を知りたいと思いませんか。梅雨の森の中で泊まり込み、 100匹以上のカメムシにマーキングをして、毎日彼らを追跡します。



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図2: ぐるぐると歩き回っても迷わない。巣から出たカメムシは、長い場合には数十mの距離を歩き寄主木の実を探索します。実を発見すると(図中の赤い×印)、出かけの道をたどらずに、真直ぐに1cmにも満たない巣穴の入り口(図中の青い●印)に戻ります。カメムシの体長は約1.8cm。ヒトに例えると何キロもの道程をぐるぐると歩き回っても、自分の家に迷わずに帰ることができるのです。



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図3: ベニツチカメムシの複眼はおよそ370個の小さな眼である個眼から成り立ちます(A)。個眼の内部の構造は、複眼の背側(B)と腹側(C)で大きく異なっています。光を受けとめる部分であるラブドームの形(一つの視細胞が持つマイクロビライの向きが一定であること)から、背側の個眼は直線偏光を見分けることができるようです。カメムシは眼の背側にコンパスを備えているのです。








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